「気仙沼のほぼ日」とは?

「気仙沼のほぼ日」は、宮城県気仙沼市にある
「ほぼ日刊イトイ新聞」の支社です。
創立は2011年11月1日。
気仙沼の神山という場所に事務所がひらかれました。

この場所で、
地元のみなさんにご協力をいただきながら、
気仙沼の乗組員がさまざまな仕事を続けています。

それはたとえば、
「気仙沼さんま寄席」の準備を進める仕事です。
2012年3月に第1回を開催したこの大きな催しで
「気仙沼のほぼ日」は、
ミーティングや事務作業の場になるのはもちろん、
本番当日には臨時の観光案内所としても機能しました。

▲「気仙沼さんま寄席」(2012年3月)

「ほぼ日」が企画する
気仙沼をテーマにしたコンテンツでも、
ここはなくてはならない要(かなめ)となります。

「矢野顕子の音楽の稽古場」
「皆川明さんのワークショップ」
「マジカル気仙沼ツアー」
「2015年3月11日の気仙沼を描く」
「気仙沼カレーで4周年」
「田口くんのヒッチハイク」

などなど(ほかにもまだまだあります)、 
たくさんのコンテンツが
目的地として、基地として、交流の場として、
「気仙沼のほぼ日」を活用し続けています。

また、同じ気仙沼にある「気仙沼ニッティング」
「東北ツリーハウス観光協会」の活動にも、
この場所はしばしば役立てられています。
(編みもの教室がひらかれたり、
会議室として意見が交わされたり)

▲編みものワークショップ(2012年)

そんな「気仙沼のほぼ日」からの情報を
インターネットでお届けするのが、
いまご覧いただいているこのウェブページです。
管理人は、設立時から「気仙沼のほぼ日」ではたらいている
乗組員・サユミがつとめます。
(トップページの漫画『沼のハナヨメ。』の作者)

気仙沼のみなさんのあたたかさは、
サユミが描くエッセイ漫画で伝えられたらと思います。
現地で決まったことや起きたことは、
「気仙沼のほぼ日便り」からレポートしていきます。
観光地としての気仙沼情報も、このページから。

無力なわたしたちですが、
気仙沼の魅力を広く伝えるお手伝いとなれるよう、
「できること」を重ねていきます。

このページに、
糸井重里が記した「立ち上げのごあいさつ」と、
「創立直前に話したことば」をのこしておきます。

「気仙沼のほぼ日って、そもそもなぜできたんだっけ?」
と思うことがあったなら、
どうぞいつでも、ここに読みにいらしてください。
運営するわたしたちも、そうしたいと思います。

糸井重里から立ち上げのごあいさつ

忘れない、忘れられない気仙沼に。 11月01日、1101という数字ならびの日に、
「気仙沼のほぼ日」が、開きます。
たくさんの方々のご協力で、今日を迎えられました。
ほんとうにありがとうございます。
気仙沼の皆さん、これから、どうぞよろしくお願いします。
3月11日から、ずっと同じことを言ってますが、
ぼくらは、たいしたことはできません。
で、できることを探して、それをしていくつもりです。
ただ、ぼくらの居場所ができたので、
集ったりしゃべったりができます。
青山のいつもの仕事場と、「気仙沼のほぼ日」とを、
「ほぼ日」の乗組員たちが行ったり来たりもします。
気仙沼のなかまたちと、しょっちゅう顔を合わせて、
あれこれやっていけそうです。
気仙沼を舞台にしてなにかすることで、
みんなの目も、気仙沼に向いてくれるのではないかと、
それなりに期待はしています。
視線が集まったり、人の行き来が盛んになると、
土地の血行がよくなるんじゃないかと思っています。
血の巡りがよくなると、からだがあったまる。
そういう効果があるとうれしいです。
もともと、人の気持ちのあたたかい気仙沼が、
もっとぽかぽかしてきたら、
また、みんながやってきてくれるでしょう。
にぎやかになっていくのを見ていたいです。
気仙沼になれてきたら、
少しは仕事ができるようになるかもしれない。
そうなるといいなぁとは思います。
みんなの助けになること以上に、
学ばせてもらうことのほうが多くなりそうですが、
そこは、遠慮せずに勉強させてもらうつもりです。
「気仙沼のほぼ日」の思い出は、
いま、つくりはじめられました。
無力なぼくらではありますが、
とにかく、できることをしていきます。
そしてそれを、できるだけ、
たのしんでやっていこうと思います。
どうぞご寛容に、
気仙沼の方向に目をやっていてください。
どうぞよろしくお願いします。

2011年11月01日
ほぼ日刊イトイ新聞 糸井重里

▲2011年11月1日、創立の日に新しい事務所で。

「気仙沼のほぼ日」がはじまる直前、
糸井重里にふたつの質問をしました。

──ほぼ日刊イトイ新聞はなぜ、気仙沼に支社をつくるのでしょうか?

まず最初に「めぐり合わせです」っていう
言い方をしておいたほうがいいかもしれないですね。
自分たちになにができるのかということを、
ほかの多くのみなさんと同じように、
震災以降ずっと考えていました。
いまやっていること以上に、なにができるだろう。
ずっとつき合っていくために、なにができるだろう。
そんなとき、気仙沼を中心にして起ち上がった
「セキュリテ被災地応援ファンド」を知って、
そのメンバーのみなさんと知り合い、
何度も会って、いろんなことを話すうちに、
「気仙沼に支社をつくりませんか?」って言われた。
たぶん提案したほうも、
具体的なビジョンがあったわけじゃないと思う。
「それはいいな」と思ったぼくのほうも同じです。
ただ、長いつき合いになると思ってるんだったら、
長いつき合いのための場所を
つくっちゃえばいいやって思ったんです。
といってももちろん、すぐに決めたわけじゃない。
現地にいって、あちこちめぐりました。
歩き回るうちに、
「ぼくらにできることがあるかもしれない」って
だんだんと感じられるようになってきた。
でも同時に、
「なにができるかを最初に考えすぎたらいけないな」
とも思いました。
ここにほぼ日の支社ができるというのは、
身体を「指圧する」みたいな効果がある。
離れた場所が刺激されることで、
物理的にも、気持ち的にも、
自分たちの血流がよくなるんです。
交流が増える。血のめぐりがよくなる。
震災以後、いろんなひとたちに話を聞くと、
どこの被災地のひとたちも、
「忘れられてしまう」ということを
いちばん怖がっていると感じました。
そして、被災地以外のひとたちは
「忘れてしまう」ことを恐れているんです。
「こうやって日常がはじまっていくんだね、
むかしのことになっちゃうんだね」
と、みんなが恐れている。
でも、ほんとは、忘れたりしないんですよ。
ふつうに血のめぐりさえよくすれば、
日常を取り戻しながら、憶えていけるんです。
そういうことがやりたいし、
それだったらできるかもしれない。
だから、一気にちからを爆発させて、
「さぁ、なにとなにをやるぞー」
っていうようなことよりも、
毎日、ずーっと、心臓がどっくんどっくんいって
動いているようなことが大切だと思う。
そういうふうに、
身体の健康を取り戻す、みたいなことが、
ぼくらがまず向き合うべきことかなと考えています。
それがお役に立つかどうかについては、
いまはあまり強く考えすぎないようにしてます。
「糸井さんが支社つくったから行ってみたんだよ」
っていうひとが出てきたりとか、
「なにやってんの?」って訊かれるとか、
そういうふうなことがぽつぽつ出てくればいい。
小さなツボが指圧されて、
全体のめぐりがよくなればいいなと思う。
お邪魔になることも、当然あると思います。
そこはもう、最初からごめんなさい、です。
100人くらいはよろこんでるけど
5人くらいのひとが怒ってる、
っていうようなことがあるかもしれない。
これは申し訳ないけど、
全部は考えられないよっていうのを、
もう最初に言っておこうと思います。
そうじゃないと、なんにもできないから。
そういうことも含めてね、
まぁ、おかしなやつらがやって来て、
ヘンなことしてるねぇ、しょうがねぇなぁ、
って笑われたり許してもらったりしながら、
長く、おつき合いができればと思ってます。

▲2011年11月1日創立の日に、ご近所さんへのご挨拶まわり。

──「気仙沼のほぼ日」はこの先も、ずっと続くのでしょうか?

期間のあることとして、考えます。
ぼくらは、大きくて立派な組織ではないし、
人を助けたいっていうような
きれいなこころみたいなものだけでやっているとは、
あんまり思われたくない。
そうじゃなくて、
お互いに生き生きしたいからやりたいんだ、
くらいにとらえてもらうと
ちょうどいいんじゃないかと思うんです。
お互い、生き生きと、「なんか会いたいね」
っていう気持ちを維持するためには、
いつまでやるのかをきちんと決めたほうが、
のびのびやれると思ったんです。
で、2011年11月1日にスタートさせて、まずは1年。
その1年は夢中でやることになると思うんだけど、
1年経ったら、ようやく先のことが
少しは見えるようになってくると思うんです。
そこから、もう1年。
つまり、2013年11月1日まで、2年間。
2年後まで続けたら、理想的なことをいえば、
自分たちがやってきたものを
「居抜き」の状態で残していきたい。
できれば、「ありがとう」って
言われるようなものをつくって置いていきたい。
そんなふうに考えています。
もちろん、そのあとも関係はつづくし、
2年経って、動かしようのないものができていたら、
期間はどんどん更新するでしょう。
だけど、はじめるいまは、
いまのメンバー、いまの組織でできることとして、
2011年11月1日からの2年間という
期限を切ってスタートさせたいと思ってます。
2年経ってみて、
「へぇ、こんなことがやれたんだね」って、
みんなで言い合えるようになってたらいいですね。
ほぼ日刊イトイ新聞の気仙沼支社、
「気仙沼のほぼ日」が、
こういうふうな気持ちでつくられていることが、
センセーショナルな感じではなく、
できればちょっと品よく、自然に、
伝わっていけばいいなぁと思っています。
冬はちょっと暖かい場所に。
夏は涼しい風の吹き込む場所に。
「あそこ、いいんだよ」って、
そんなふうに言われるようになるといいんですけど。
2011年10月末 糸井重里、談。

▲2011年11月1日、創立の日に「気仙沼のほぼ日」にて。

「気仙沼のほぼ日」では、
気仙沼に関するみなさんからの情報をお待ちしています。
そのほか、読んでいただいた感想やご意見、ご質問などは
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